北京旅行記
三国志紀行 涿州編
Google Earth
北京
2007/4/12
予算使用状況
出金
食費 9元
地図 2元
影視城 50元
三義宮 20元
張飛廟 20元
バス代 19元
ワゴンタクシー代 40元
合計 160元
一卡通使用分
バス代 23.2元
合計 23.2元
劉備の故郷・涿州へ向かう
  
今日はいよいよ劉備の故郷・涿州を訪れることにする。0520頃に起床して急いでメールを確認してから宿を出発するが・・・。しかし、雨が降っている!涿州行きをやめようかと思ったが先日、坦克博物館へ行くときのようにすぐに雨が止むと判断して傘を差して出発する。0620頃に天橋のバスターミナルで917路の涿州開発区行きのバスに乗車する。917路は支線がいくつかあるのだが涿州行きは917路支4になる。0630頃に天橋を出発して盧溝橋を通り過ぎ2時間ほどで涿州に入る。市内に入ると鼓楼大街を過ぎて、すぐに市政府で停車する。鼓楼大街は劉備、関羽、張飛が知り合ったというところだ。バスを降りようと思ったが終点まで行ってみることにした。0830頃に終点の涿州開発区に到着する。終点は意外にも天下第一州の牌坊の前であった。天下第一州の牌坊は三国志とは関係ないのだが清の乾隆帝が南巡の際に涿州を訪れた時に”天下第一州”と書に記したそうだ。牌坊自体は新しいのだがこういう故事が残っているので写真撮影をして1路のバスに乗車して鼓楼大街へ向かう。
鼓楼大街を散歩して涿州駅へ
  
1路のバスに乗車して鼓楼大街へ向かう。バス停名が分からないので車掌さんに「市政府へ行きますか?」と聞いて大丈夫だったので運賃1元を支払いそのまま乗車する。しばらくして0900頃、市政府前に到着して下車する。ここのバス停は東大街というようだ。市政府で徒歩1分ほどで鼓楼大街の入口に到着する。「ここが劉備たちが知り合った場所なんだ」と思いながら鼓楼大街を散歩するが特に記念碑も無く普通の商店街であった。鼓楼大街は牌坊以外は何も無いので涿州駅へ向かうことにした。0925頃、徒歩10分弱で涿州駅に到着する。涿州駅前はバスターミナルになっており涿州の交通の拠点になっている。もちろん、三国志観光の拠点にもなる。まずは涿州駅の写真撮影をするが駅前の売店に「地図」の文字を発見する。売店では涿州と保定の地図が売られていたので涿州の地図を2元で購入する。続いてバスで移動なのだが、ちょうど三義宮へ行く7路のバスが出て行ったので4路のバスで中央電視台中国影視城へ向かうことにした。影視城へ行く途中に盧植墓もあるようだがまずは影視城へ行く。
影視城は広い!

  
0930頃に涿州駅を出発して1030頃、影視城に到着する。影視城は三国演義や大漢天子などが撮影された場所で、無錫の三国城などと並ぶ中央電視台の撮影基地である。入場料50元を支払い入場するが平日なので観光客はそれほど多くはないのだが、ガイドのお姉ちゃんたちが待ち構えていたので無視して進む。お金があればガイドをお願いしてミニバスで楽々移動するのだがあいにく貧乏人なので広い影視城を徒歩で移動する。まずは入口付近を見て回るがとにかく広い。東大殿では撮影をしていたので見物できずに他を見ようにも広すぎて疲れるので銅雀台を見物して退散することにした。
  
疲れながらも銅雀台に到着するがとにかく大きいのに驚く。ついでに痛んでいる場所も多いのに驚く。銅雀台には観光客が記念撮影したりして影視城の中では賑わっている方だ。それと、何故か雀が多かった。銅雀台は雀には良い住処になっているのだろうか?銅雀台の対面の三号城楼では撮影が行われており周辺では兵士を見ることができた。1130頃に影視城から盧植墓へ向かう。
盧植墓は閉まっていた
  
4路のバスで卢家场へ向かうがバスの車掌さんに卢家场のどこで降りるか聞かれメモを見せて盧植墓で降りることを告げると乗客に「韓国人か?」と聞かれ、いつものことながら面倒なので「そうです」と答える。そうすると車掌さんや乗客が妙に親切に話しかけてきて盧植墓の前で停車してくれた。車掌さんや乗客が妙に親切な理由は三義宮を訪れたときに判明する。バスを降りて畑の奥に廟らしきものが見えるので歩いていくと盧植墓であった。しかも、ここは盧植墓だけでなく盧氏発祥の地らしく、どうやら盧氏総本家の墓でもあるようだ。盧植墓まで来てはみたものの扉は閉まっており扉の隙間から盧植墓が見えるだけだ。周囲に民家はあるものの誰もいない。壁に穴でも開いていないかと周囲を見て回るが駄目であった。諦めて盧植墓を後にして昼頃に涿州駅へ戻る。
三義宮を訪れる
  
1240頃、涿州駅から7路のバスで107国道を南に進み三義宮へ向かう。張飛廟を過ぎて1km程走り1320頃、三義宮に到着する。バスを降りると目の前には三義広場があり劉備、関羽、張飛の銅像がある。もちろん、写真撮影をする。三義広場で休憩をして1410頃、三義宮に到着する。三義宮には観光客が少人数であるが訪れていた。三義宮の前は広場になっており地元のお年寄りが寛いでいた。広場には涿州の観光地が紹介されており、ここで盧植墓の意外な事実を知った。盧植墓が盧氏発祥の地になっていることは盧植墓を訪れたときに知ったが実は韓国の盧氏は分家筋にあたるらしい。盧武鉉、盧泰愚といった韓国の大統領も盧氏の家系となっている。だから、盧植墓へ行くときに「韓国人だろ!」と言われた訳だ。妙に親切だった訳も分かった。盧植墓でのことも分かり入場料20元を支払い三義宮を見物するが管理人らしき老人が頼んでもいないのに三義宮の説明を始める。途中で「どこから来たの?」と聞かれ「日本から来たと」と答えると三義殿に案内され「線香を挙げるか?」聞かれ金を取られそうな気配を察知して断ると説明はここで終わった。しかも、三義殿には何やら怪しげな占い師だか道士が2人いたが観光客がお金を支払っていたので無視をする。
  
劉備たちの像を見て桃園三結義碑の写真撮影をするだがちょっと来る時期が早かったようだ。碑の周囲には予想通り桃の木が植えてあったのだが咲き始めの頃だった。北京では満開の桃の花を見たのでちょうどいいと思ったが品種が違うせいなのかちょっと早かったようだ。
張飛廟へ
  
  
1500頃に三義宮から張飛廟へ徒歩で移動する。約2~3km程の道のりを歩き1530頃に到着する。入場料20元を支払い見物する。張飛廟には張飛廟のほかに張飛古井と桃園三結義原址がある。ここでも何故か怪しげな占い師だか道士がいたのだが金を取られそうなので無視をする。張飛廟を見物して107国道に戻るのだが途中で16路のバスとすれ違う。16路のバスが張飛廟を通過していく路線と分かったのだが、「この道が路線バスの経路なのか?」と思うほどの細い道を通っていく。国道から13路のバスで涿州駅へ戻る。
漢昭烈皇帝劉備故里碑を訪れる

1645頃、涿州駅に戻ってきた。駅の切符売り場で北京行きの列車を確認するがとっくに出発した後だった。しかも、切符売り場も閉まっていた。でも、切符売り場の天井に劉備、関羽、張飛の絵が描いてあるのを発見して迷わず撮影する。1700頃に3路のバスで大樹楼桑村へ向かうがよそ者が大樹楼桑村に行こうとするので車掌さんに色々聞かれる。
車掌:「大樹楼桑へ何しに行くの?」
自分:「ここに漢昭烈皇帝劉備故里碑があるから見に行きます。」
車掌:「劉備故里碑?聞いたこと無いよ!」
周りの乗客もなんか騒いでいる
自分:「大樹楼桑村までいくらですか?」
車掌:「4元だよ。最終バスは5時だよ!帰りのバス無いよ」
自分:「構いません」
4元支払う
車掌:「あんた、どっから来たの?」
盧植墓の事もあるので
自分:「韓国から来た」
車掌と乗客が騒ぎ始める
恐らく日本人と答えるともっと騒ぐだろうな。変な日本人がいると公安に通報されてもおかしくない状況だし。
まあ、周囲は騒いでいるが自分は大樹楼桑村へ向かうことしか頭に無い。バスは南に向かい走るが乗客たちは相変わらず騒いでいる。話の内容は自分の事だというのは分かっている。「大樹楼桑に外国人が来た事なんてないよ!」とか一部聞き取れた。1730頃、大樹楼桑村の入口に到着する。バスを下車すると一緒に下車した地元のお姉ちゃんが「劉備の碑まで案内してあげるよ」というので普段なら無視するところだが案内してもらうことにした。地元の人はさすがに知っているようだ。先にお姉ちゃんの家によってからということで話をしながら畑のど真ん中を歩いていく。お姉ちゃんの家に到着するとお婆ちゃんがいて、さらに子供が遊んでおり、実はこのお姉ちゃん結婚していて子供がいた。お婆ちゃんは妙に親切にしてくれて飲み物まで出してくれたがさすがに悪いので遠慮した。お姉ちゃんがお婆ちゃんに「劉備の碑は学校のそばでしょ」と聞いており目印は学校と覚える。お姉ちゃんに連れられ石碑へ向かうが途中で地元住民に会うたびに「この人、韓国から劉備の碑を見に来たんだよ」と言っている。何やら大々的に宣伝されている。恐らく明日までには大樹楼桑村のほとんどの住民が外人が来たことを知っていそうだ。

少し歩くと畑の中に石碑があり、1750頃ついに漢昭烈皇帝劉備故里に到着である。さっそく写真撮影し始めるが石碑には落書きが・・・。すぐ近くに学校があるので子供がやったことはすぐに分かったのだが、ちょっと残念。石碑を撮影したので帰らなければならないのだが3路のバスは既に無い。

道は分かっているので歩いて涿州駅まで戻れないことは無いが917路の最終バスが何時なのか分からない。お姉ちゃんが「タクシーで帰るならすぐ呼べるよ」というので呼んでもらうことにする。石碑の近くのタクシーの運ちゃんが住んでいるようなので運ちゃんの家に行くが運ちゃんがあいにく不在だったが家の人が携帯に電話して呼んでくれた。しばらく、運ちゃんの家でお姉ちゃんと運ちゃんの家族の話を聞きながら待つ。運ちゃんが戻ってきてお姉ちゃんに礼を言って1815頃に大樹楼桑村を出発、1830頃に917路が停まるバス停に到着、運ちゃんに40元支払う。バス停の標識に917路の最終時間が表記されていなかったので運ちゃんが近くで917路の最終時間を聞いてくれて、まだ大丈夫なことが分かった。運ちゃんに礼を言うと、運ちゃん早速帰る。バス停で少し待っていると北京方面へ行く人が集まってきてバスもやってきた。1840頃に涿州から北京へと出発して2030頃、天橋に到着する。今回の長旅はワゴンタクシーで思わぬ出費と917路の始発バスに乗れなかったことが反省すべきことだろう。1日だけで涿州の三国志観光をするには始発バスに乗るのが第一条件だ。漢昭烈皇帝劉備故里も夕方前に訪れるのが良さそうだ。お金があればタクシーか三輪バイクタクシーをチャーターするのが良いが、漢昭烈皇帝劉備故里と三義宮、張飛廟の3ヶ所は涿州駅前にレンタサイクルがあるのでこれを使えばバス待ちの時間も必要無いので意外と使える可能性がある。
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