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<<慕田峪長城編 | 中国バックパッカー | 北京旅行記2009~燕京号帰国編>>北京旅行記2009~明十三陵編概要北京滞在も残り数日となりそろそろ北京観光の本命である明十三陵を見物する事にする。しかし、長陵、定陵、昭陵といった一般公開されている陵墓は一昨年見物しているので今回は中には入れないが非公開の陵墓を訪れてみる事にする。 Google Earth 北京 2009/4/9予算使用状況出金 食費 0元 バス代 0.5元 合計 0.5元 公交IC卡 バス代 3.2元 食費 8.7元 合計 11.9元 世界文化遺産 明十三陵を徒歩で廻る![]() ![]() 0545頃に起床して0615頃、徳勝門へ向かう。0635頃、徳勝門から345快のバスに乗車して昌平東関(昌平东关)で314路のバスに乗換え0820頃、七孔橋(七孔桥)に到着する。今日は明十三陵の未開放になっている陵墓の入口を見物するのだ。予定だと夕方までに10の未開放陵墓の内、思陵を除く9の陵墓を廻る事が出来るだろう。前日にGoogle Earthで確認した地図をデジカメに保存して、GPSに位置情報を入力してあるので準備は万全だ!たぶん・・・。因みに開放されている長陵、定陵、昭陵は一昨年見物しているので省略する。七孔橋からGPSを起動して移動距離をリセットする。今日は一体で何km歩くかな?まずは永陵と徳陵を目指して東へ歩き始める。道路標識にも永陵と徳陵が表記されているのでこれなら楽に辿り着けそうだ。 永陵![]() ![]() 道路標識に従い歩いて行くとそれらしい陵墓が見えてきた。0830頃、まずは永陵に到着する。入口には何も書かれていない石碑が建っている。これは無字碑と呼ばれている。 ![]() ![]() ![]() 入口の門は閉ざされているのだが中から人の声がする。地元民のおっちゃんたちが永陵の修復作業をしているようだ。門の隙間から永陵の内部を見るが修復作業はそこそこ進んでいるような感じだ。永陵は明朝第12代皇帝嘉靖帝の陵墓だ。嘉靖帝は政治を省みずに紫禁城に引き籠っていた暗君であった。 ![]() ![]() ![]() 中へは入れないので外から永陵を見物して0845頃、再び入口へ戻ると門が開いておりおっちゃんたちが資材を運び込んでいる。この機会を逃さずに開いている門から永陵の内部を撮影する。永陵から徳陵へ向かう途中で永陵の前を昌55路のバスが通過する。どうやら、路線バスが走っているようだ。どういう経路で走っているかは分からないのが徳陵や他の陵墓へ行く間に徐々に分かるだろう。 徳陵![]() ![]() 0900頃、徳陵に到着する。徳陵は入口周辺が綺麗に整備されており修復がかなり進んでいるようだ。 ![]() ![]() ![]() 徳陵は明朝第16代皇帝天啓帝の陵墓だ。天啓帝は宦官魏忠賢の専横を許し東北部でヌルハチ率いる後金の勢力を拡大させてしまった。徳陵はある程度修復が進んでいると思ったら、2002/3/10に修復作業が始まり2004/7/22に修復工事が完了していた。徳陵は次の一般公開される陵墓の最有力候補だろう。 景陵![]() ![]() 0940頃、景陵に到着する。ここは元々あった門は崩壊したようで鉄柵の門で閉ざされている。鉄柵の門になっているので柵越しで内部を見る事は出来る。 ![]() ![]() ![]() 景陵は明朝第5代皇帝宣徳帝の陵墓だ。宣徳帝と父の洪熙帝の治世に明朝の最盛期を向かえており宣徳帝は政治に熱心であった。景陵から献陵へ向かう途中で一般公開されている長陵を通り過ぎるが昌55路のバスが長陵の前を通り過ぎて献陵の方へ走って行った。長陵の前を昌55路のバスが通過しているので明十三陵の非公開陵墓を訪れるのに使えるだろう。 献陵![]() ![]() ![]() 1020頃、献陵に到着する。献陵は外から見る限りは修復作業が進んでいるようだ。門の前には地元民のおっちゃんたちの人民チャリやバイクがあり中で修復作業をしていた。 ![]() ![]() 門は閉ざされていたが隙間から内部を見る事が出来た。献陵は明朝第4代皇帝洪熙帝の陵墓だ。洪熙帝は永楽帝の息子であるが在位1年で崩御してしまうが洪熙帝と息子の宣徳帝の治世が明朝の最盛期とされ仁宣の治と称されている。 慶陵![]() ![]() 1030頃、慶陵に到着する。慶陵の門は見事に崩壊しており鉄柵で閉ざされていた。見る限りだと内部もかなり崩壊している様子だ。 ![]() ![]() ![]() 慶陵は明朝第15代皇帝泰昌帝の陵墓だ。泰昌帝は即位して僅か1ヶ月で崩御してしまうという何か陰謀でもあるのではないかというほどの在位期間の短さだ。 裕陵![]() ![]() 1050頃、裕陵に到着する。裕陵は遠くからでも崩壊が進んでいるのが分かるほど酷い状態だ。 ![]() ![]() 裕陵は明朝第6代、第8代皇帝英宗の陵墓だ。英宗は土木の変で中国の統一王朝で唯一野戦で捕虜となった皇帝として知られている。 ![]() ![]() ![]() 入口の門は崩壊して鉄柵の門になっており内部の様子を窺う事が出来るが痛み具合がかなり激しい。でも、中国語と英語の説明の看板があったりして「非公開じゃなかったのか?」と言いたいのだが他の陵墓でも同じ様に中国語と英語の説明の看板があった。中国政府が招待した外国の要人が見物したりしているのか?それとも、旅行会社に金を払って裏ルートで内緒で見物できるのか? 茂陵![]() ![]() 1100頃、茂陵に到着する。茂陵も門は崩壊しており鉄柵の門になっていた。 ![]() ![]() 茂陵は明朝第9代皇帝成化帝の陵墓だ。成化帝は19歳年上の万貴妃を寵愛しており、かなりの年増好きだったようだ。 ![]() ![]() 茂陵も痛み具合が酷く、崩壊寸前といった状況だ。これは修復できるのか?茂陵から泰陵へ歩いて行くと康陵との分かれ道に辿り着く。真っ直ぐ進めば泰陵、左へ行けば康陵だ。まずは泰陵へと向かう。昌55路のバスが通り過ぎて行くので長陵から泰陵までバスで行けるのが確認できた。 泰陵![]() ![]() 1135頃、泰陵に到着する。ここも門は崩壊しており鉄柵の門になっている。 ![]() ![]() 泰陵は明朝第10代皇帝弘治帝の陵墓だ。弘治帝は政治に熱心であり改革を断行し北方の防衛体制強化に努め明中興の祖と称されている。 ![]() ![]() 柵越しで内部を窺う事は出来るが、ここは裕陵や茂陵の様に酷く崩壊は進んでいない様だ。 康陵![]() ![]() 1205頃、明十三陵で最も奥にある康陵に到着する。門の前では観光客が弁当を食べている。 ![]() ![]() 康陵は明朝第11代皇帝正徳帝の陵墓だ。かなりの馬鹿皇帝で親征先で美女を誘拐したりとやりたい放題だったようだ。 ![]() ![]() ![]() 門の隙間から内部を撮影していると観光客のおっちゃんが「何処から来たんや?」と訊くの「日本から来たんや」と答えると「日本から来たんか」と驚いている。いくら世界文化遺産の明十三陵と言えども非公開で一番奥の康陵まで来る日本人は少ないだろうから、驚くのも無理は無いな。 ![]() ![]() ![]() 康陵の外側を歩いて中が見られる場所が無いか探すと、鉄柵の門があったの鉄柵越しに康陵の内部を見物する。今日の予定は夕方までに康陵までの見物であったが、予想以上に順調に廻れてまだ昼過ぎだ。これなら明日訪れる予定だった思陵へも行ってみる事にする。永陵から康陵まで徒歩で移動したがGPSを確認すると18.5km歩いていた。康陵から来た道を戻り泰陵と長陵への分かれ道へ戻って来た。ここで昌55路のバスに乗車して長陵まで戻る。運賃は5角で10分ほどで到着する。 長陵![]() 1250頃、長陵の戻り最後の思陵へ行く為に314路のバスに乗車して1330頃、昌平胡庄で下車してひたすら西へと歩く。思陵までは約4kmの道程だ。 思陵![]() ![]() GPSと地図を確認しながら歩いて行くと北京雪世界滑雪場というスキー場の前を通過する。そろそろ北側に思陵があるので道がある筈なのだが・・・。そして、次の集落へ入ると脇道からいかにも観光客というような一団が出てきた。脇道へ入り歩いて行くと王承恩墓に到着。王承恩は崇禎帝に最後まで従った宦官で崇禎帝が首を吊った後に殉死している。思陵はこの奥にあるようだ。 ![]() ![]() 更に奥へ進み1430頃、思陵に到着する。これで明十三陵を全て制覇した。思陵は明十三陵の中では最も規模が小さく内部には建物が見当たらない。 ![]() ![]() 思陵は明朝第17代皇帝崇禎帝の陵墓だ。崇禎帝は明朝最後の皇帝で明朝建て直しの為に政治に熱心であったようだが明朝滅亡の流れを止める事は出来ず李自成軍により北京が陥落すると紫禁城の北にある景山で首を吊って自殺した。 ![]() ![]() ![]() 地元民のおっちゃんたちが作業をしており門が開いていたので内部を撮影するがあまり広くない。外から見て廻っても規模が小さいので5分ぐらいで1周出来てしまう。おまけに北京市でも田舎なので肥溜めの罠が仕掛けられており油断しているととんでもない事になる。1445頃、昌平胡庄に戻り314路のバスで昌平東関へ戻り345快のバスで北京市内の徳勝門へ戻る。GPSを見ると今日は26km歩いていたようだ。恐らく今日は今までで最も歩いた日になっただろう。 2009/4/10予算使用状況出金 食費 4.4元 衣料品 99元 合計 103.4元 银联卡 食費 38.2元 日用品 11.9元 合計 50.1元 公交IC卡 バス代 0.8元 キャッシュカードで支払いをしてみる![]() ![]() ![]() 1000頃、北京動物園近くのイトーヨーカ堂でジーパンを買う。まあ、日本での社会復帰に備えての訓練といったところだ。続いて、これも北京動物園の近くにあるカルフールで買い物をするがここで中国で初めてキャッシュカードを使って支払いをしてみた。自分はクレジットカードを持たずにニコニコ現金払いで過ごしてきたのでカードでの支払いは初めてだ。支払いはカードを通して暗証番号を入力して明細に署名して終了だ。銀行口座からは瞬時に引き落とされるので預金残高の範囲内で利用になり多重債務者の様に使い過ぎの心配は無い。日本のデビットカードに相当する機能だ。 ![]() ![]() ![]() で、カルフールでは韓国企業のインスタントカレーと海南島産のパイナップルとマンゴーを購入する。カレーは日本へ帰ってからの食料でパイナップルとマンゴーは恐らく日本へ帰ったら食べる機会が無さそうなので今のうちに食べておく。 2009/4/11予算使用状況出金 食費 9元 書籍 402元 梱包費 12元 郵送費 209.8元 合計 632.8元 公交IC卡 バス代 2.4元 食費 64.7元 日用品 8.4元 合計 75.8元 両替 JTBグローバルキャッシュ 12560円→800元 食料調達0900頃、ウォルマートで米、インスタントラーメン等の食料を購入する。これらは日本へ帰ってからの食料だ。交通事故![]() ![]() ![]() 1430頃、交通事故現場に遭遇する。路上におばちゃんが座り込んでいるので轢かれたか接触したのだろう。運ちゃんは携帯電話で何処かへ連絡している。そして、事件事故のある所に人民が集結するのは世の常で、既に人民たちが見物に集まっている。 郵便局で小包を発送![]() ![]() 1500過ぎに王府井書店で中国の歴史の本と北京のガイドブックを購入する。「今更ガイドブック購入してどうすんねん!」とツッコミを入れられそうだが日本に帰ってから読むのとHP作成のネタにするつもりだ。旅行記が完結して更新を止めると誰もHPを見なくなりそうなのでガイドブックを翻訳しながら北京の情報でも掲載しようかと計画している。1600頃、購入した本をそのまま郵便局へ持って行き服務台でおばちゃんに梱包してもらい送り状に記入する。送り状の記入が終わり窓口で郵送費209.8元を支払う。本が402元で送料209.8元なので送料が滅茶苦茶高い。それでも一番安い船便だ。まあ、問題なければ1ヶ月後にはボコボコになって日本に到着するだろう。 帰国前に残りの人民元を預金![]() ![]() ![]() 1640過ぎ、郵便局を出て王府井の中国工商銀行で手持ちの小銭を預金をする。営業終了間際で自分が整理券を受け取ると警備員が入口を閉めた。ちょっと遅かったら使えない大量の小銭を日本に持ち帰るところであった。銀行内には客が数人おり自分の順番まで時間がかかりそうなので預金する人民元がいくらなのか数える事にする。実はこの時点で自分が幾らの小銭を持ってきているか把握していないのだ。なので銀行内で1元札、5角札、1角札などを数え始める。札束と小銭の山は総額367元8角1分であった。自分の順番が来て窓口に札束と小銭の山を出す。窓口のお姉ちゃんは札束と小銭の山をちゃんと数えているが営業終了間際にこんな事をするのはほとんど嫌がらせだな。無事預金を済ませて外へ出ると現金輸送車が停車している。中国の現金輸送車は日本と違って警備員が銃で武装しているので不用意に近づくと撃たれる可能性があるのだが、人民はあまり気にせずに現金輸送車の近くを通ったりしている。まあ、中国で現金輸送車を襲撃するとその場で射殺されるのは確実なので襲う奴は滅多にいないようだ。中国で現金輸送車を襲撃するよりも日本で現金輸送車を襲撃した方がまだ安全だろう。というか、自分には現金輸送車を襲撃する勇気は無い。 <<慕田峪長城編 | 中国バックパッカー | 北京旅行記2009~燕京号帰国編>> |