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<<湖北省旅行記~武漢編 | 中国バックパッカー | 湖北省旅行記~荊州編>>湖北省旅行記~赤壁古戦場編概要CRH和諧号に始めて乗車し赤壁へ向かう。三国志ファンなら1度は訪れたい赤壁へ終に行く事になる。 Google Earth 湖北省 2007/11/20予算使用状況出金 食費 12元 宿泊費 20元 バス代 1元 バス代(赤壁市⇔赤壁鎮) 16元 バス代(赤壁→洪湖) 17元(保険料1元込) 赤壁名勝風景区 40元 切手代 32.4元 合計 138.4元 入金 保証金戻る 100元 合計 100元 D149次、2等座で武昌→赤壁![]() ![]() ![]() 0920過ぎに武漢探路者国際青年旅舎をチェックアウトする。バスで武昌駅まで行くことも考えたがバスが混んでいそうだし駅が工事で渋滞が酷そうなので徒歩で向かうことにする。約2㎞の道程を30分程かけて1000前に武昌駅到着。武昌駅は工事中だが侯車室は工事中の駅舎の中にある。まだ工事が終わっていない駅舎を普通に使うとは何でもありの中国は凄い。和諧号専用の侯車区で時間まで待つのだが椅子がいつもと違って高そうな椅子がある。和諧号の乗客は扱いが違うようだ。1035頃に2番ホームへ向かい乗車する。 ![]() ![]() ![]() 今回の列車はCRH1だ。初めて乗車するCRH1だが車内はずいぶんゆったりしている。さすが高い運賃を払っていることだけはある。 ![]() ![]() ![]() 興味津々で車内を見るのだが各座席には雑誌とCRH1のサービスマニュアルとCRHのロゴが入ったゲロ袋がある。マニアにはたまらない品々だ。 ![]() ![]() ![]() 1053定刻どおり武昌駅を発車するが加速力に驚く!この加速力は中国では初めて体験する加速力だ。数分で100㎞/hを超えて200㎞/hまで出すかと思ったら160㎞/hまでしか出さない。しかも、車内の揺れが激しい。日本の新幹線はここまで揺れは酷くなかったのだが中国ではまだ許容範囲内なのか?もしかして、160㎞/hでこの揺れだから200㎞/hは出せないのだろうか?せっかく高い切符を買ったのにがっかりだ。これではCRHを走らせる意味が無いし、特快を走らせるだけで十分じゃないか!不満が残る中で検札が始まるがミネラルウォーターを一緒に配っているではないか。確かチベットのミネラルウォーターを配っている筈だ。乗客は目の前にミネラルウォーターという餌があるために率先して切符を出している。今まで検札では乗客は嫌々切符を出していたがこういう時は別なようだ。 ![]() ![]() ![]() 1156定刻どおり赤壁に到着する。赤壁駅からは2路と4路のバスで市内へ行くことができるが2路のバスで市内へ向かう。 赤壁古戦場![]() ![]() ![]() 2路のバスで長途車站で下車するはずだったが乗り過ごし徒歩で戻ることになる。おまけにバスターミナルが見つからないので、1300頃、とりあえず市中心部にある赤壁招待所に1泊することにする。すぐに赤壁古戦場へ向かうべく城西停車場を探す。1320頃、城西停車場を見つけ赤壁鎮行きのバスに乗車、客が集まり発車して1420頃、赤壁鎮に到着する。正面には牌坊が2つあり古い牌坊をくぐり進むと入口に到着する。 ![]() ![]() ![]() 入場料は40元で迷わず入場だ!まずは龐統が隠棲してた鳳雛庵から見物して拝風台、東風閣、赤壁大戦陳列館と見物していく。 ![]() ![]() ![]() そして、出来の悪い周瑜像の後に赤壁を見物する。対岸には烏林があるが明日は烏林へ行くつもりだ。赤壁の文字を見ることが出来て目的達成だ。帰り際に周瑜像をもう一体発見!こっちの方が遥かに出来が良いではないか。 ![]() ![]() それに桃園結義の像まであり、ちょっと赤壁の戦いから外れているが三国志ファンには満足できる場所であった。赤壁市へ戻るバスに乗車するが運ちゃんが覚えていたようで「1時間で戻ってきたの?早いね。」と話しかけてきた。確かに1時間で見て回ったのは早かったと思う。 洪湖行き切符を購入![]() 1630頃、城西停車場に到着する。次は長距離バスターミナルを探さなければならないが車站路を歩いていたらすぐに浦圻客運站が見つかった。明日の洪湖行きの切符を購入する。 2007/11/21予算使用状況出金 食費 9.6元 宿泊費 30元 保証金 10元 バス代 3元 バス代(烏林→洪湖) 4元 バス代(洪湖→監利) 22元 合計 78.6元 赤壁→洪湖![]() ![]() ![]() 0720頃、赤壁招待所を出て浦圻客運站へ向かう。洪湖行きバスに乗車して発車を待つ。0815にバスが発車して0930頃、赤壁鎮に到着する。ここでバスはフェリーに乗るために1時間ほど待つことになる。 ![]() ![]() ![]() 1045頃、フェリーで対岸へ向かうが、何とフェリー乗り場から赤壁が見られた。しょぼい周瑜像とか見る必要のない人にとってはフェリー乗り場で赤壁見物をするので十分だろう。昼前に洪湖汽車客運站に到着して、バスターミナル前の広順招待所に宿泊することにする。1泊30元だが部屋は広く綺麗だ。 烏林へ行こうとするが![]() ![]() 昼過ぎに洪湖汽車客運站でバスの運行状況を確認する。そして、今日の目的は烏林古戦場へ行くことだが赤壁のフェリー乗り場の北にあることが分かっており、フェリー乗り場まで戻れば何とかなる。 ![]() ![]() ![]() 洪湖へ行く途中に2路のバスとすれ違っていたので2路のバスで近くまで行けそうだ。洪湖汽車客運站から1路のバスに乗車して老洪中で2路のバスに乗換えて終点の四屋門へ向かうが、ここで予想外の事態に遭遇する。終点の四屋門に到着したが烏林まで約10㎞、フェリー乗り場まで約5㎞もあった。仕方ないのでそのまま道沿いに歩いていくが烏林行きや黄蓬行きのバスが通り過ぎる。このバスに乗れば烏林へ行くことができるが、とりあえずフェリー乗り場のある胡范まで歩いてみる。胡范で黄蓬行きのバスに乗車して烏林へ向かうが途中で道路左に烏林村の入口を発見するがそのまま終点まで行ってみるがこの判断は間違いであった。1400頃、終点の黄蓬に到着して近くの川沿いに烏林村のある西へ歩いていくが途中で犬に何度も吠えられるし道は悪いしGPSで烏林村の入口へ向かうが疲れるだけで散々な目にあった。 烏林古戦場![]() ![]() ![]() 1530頃、ようやく烏林村の入口に辿り着いた。烏林村へ入っていくとまずは烏林寨の石碑を発見!ここが烏林古戦場だ。しかし、曹操湾の石碑が見つからない。周辺を歩き回ったがそれらしい石碑は全て墓石だった。こうなっては人民に聞くしかないので烏林寨の石碑近くで聞き込み開始! ![]() ![]() おばちゃんに聞いてみると「すぐそこ!」というので指差す方向へ行くと曹操湾ではなく曹公祠があった。曹操湾ではなかったが、十分な収穫だ。そして、烏林村は曹さんが多いことも判明する。村の掲示板に戸口(戸籍)に関する掲示があり、ほとんどが曹姓であった。これは偶然か?それとも曹操との関係があるのか?曹操湾については聞き込みをしても「曹操廟はあっち!」とか言われ曹公祠ばかり案内される。発音が悪いから通じないのだろうか?1600を過ぎて夕方になっているのでバスがなくなると困るので洪湖へ戻ることにする。帰りは嘉魚からバスに乗車して洪湖に戻るが嘉魚の他にも老湾、龍口へ行くバスも烏林村の前を通ることを確認した。洪湖汽車客運站で明日の監利行きの切符を購入して準備を整える。 2007/11/22予算使用状況出金 食費 12元 宿泊費 20元 バス代 4.5元 バス代(監利→石首) 17元 合計 53.5元 入金 保証金戻る 10元 合計 10元 洪湖→監利![]() ![]() 0705頃、宿を出て洪湖汽車客運站で監利行きのバスに乗車する。0730過ぎに出発し監利へ向かう。途中で濃い霧の中を走り0930頃、朱河鎮を通過する。朱河鎮を通過すると次は上車湾鎮だ。上車湾鎮に今日の目的地の華容古道がある。北へ進み上車湾鎮に入りT字路を左折、西へ向かう。このT字路が紅南橋で華容古道を探す際の目印だ。紅南橋から西へまっすぐ進み1030頃、監利汽車客運站に到着する。すぐに宿を探し楚天飯店に1泊することにする。宿代は20元だが登記無しだった。洪湖でも登記無しだったし、この辺は公安の監視が甘いようだ。 華容古道![]() ![]() ![]() 監利汽車客運站から三洲行きのバスで上車湾鎮へ向かうがわざわざバスターミナルからバスに乗る必要は無かった。バスターミナル前の容城大道から朱河、尺八、剅口など上車湾へ行くバスが頻繁に出ていた。上車湾でバスを降りて徒歩で紅南橋へ向かう。なぜ、紅南橋までバスで行かないのかと思うだろうが、事前調査で道路沿いに華容古道に関する史跡がありそうな雰囲気だったので上車湾から紅南橋まで歩いてみたが関廟村とか気になる名前の村があったが特に何も無かった。ちょっと時間をロスしたが昼頃、紅南橋から東へ進み途中で北へ向かう。まずは太平橋を探す。因みに今日の目的地の華容古道は赤壁の戦いで敗走した曹操が通った道だ。太平橋の大体の位置は分かってはいるが詳細は不明のままだ。GPSと手書きの地図を頼りに歩き途中までは地図通りに進むが、やはり道に迷った。華容古道の近くに来ているのは分かっているが太平橋へは辿り着けない。太平橋には華容古道の石碑があるらしいのだが、疲れてやる気が無くなってきたので帰ることにする。南へ伸びる道を歩き省道へ向かう。1400頃、前方の道路脇に怪しげな石碑らしきものを見つける。いつもなら墓石というオチなのだがよく見ると華容古道の石碑だった。場所は太平橋ではなく曹橋村だった。諦めていた華容古道に辿り着いたのだ。どうやら知らない間に華容古道を通り過ぎていたようだ。これでは見つかるはずが無い!早速撮影だが牛がのんびりと草を食べている。曹操が逃げた華容古道も今では農村のあぜ道になっていた。このまま東へ行けば太平橋なのだが太平橋の石碑は断念して曹橋村の石碑で今回の目的は達成と判断して南の省道へ向かう。 ![]() ![]() ![]() 1445頃、ようやく省道に出た。最短経路の入口は紅南橋の手前の関廟村と周門寺村の間の北へ伸びるドブ川(水路)脇の道だった。監利行きのバスに乗車して1515頃、監利汽車客運站に戻る。運賃は2.5元。監利汽車客運站で明日の石首行きの切符を購入して、遅い昼食兼早い夕飯を食べに行く。 <<湖北省旅行記~武漢編 | 中国バックパッカー | 湖北省旅行記~荊州編>> |