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内モンゴル旅行記~包頭編概要成吉思汗陵を見物してオルドスから包頭に戻り五当召へ行こうとするがバスの客が集まらず運行中止に・・・。五当召へは行けなかったが戦国趙北長城遺址と美岱召を見物して、いよいよフフホトを目指す。 Google Earth 内モンゴル自治区 2007/10/16予算使用状況出金 食費 14.4元 宿泊費 20元 バス代 1元 バス代(東勝→包頭) 26元 合計 61.4元 入金 保証金戻る 40元 合計 40元 1116次で東勝→包頭東へと思ったが今日はオルドスを離れて包頭へ戻る。昼頃に宿を出て1路のバスで東勝駅へ向かう。東勝駅の售票厅にやって来たが狙っていた北京西行きの1116次が今月は奇数日にしか運行していないことに気付く。一昨日来た時に良く調べておくべきだった。1116次は非空調なので運賃が安いのだが、運行していないとなると包頭までの4696次を利用するしかない。しかし、空調が付いているので包頭まで21元で1550発だ。これなら、4時間近く待つよりバスで包頭へ向かったほうが早い。ということで、徒歩で東勝汽車站へ向かう。東勝汽車站→包頭汽車站![]() ![]() 1300頃、東勝汽車站に到着し包頭行きのバスに乗車する。バスが発車し市街地を出ると検問で停車する。乗客2人が公安に身分証提示を求められバスを降り詰め所で質問を受けているようだ。5分ぐらいで乗客2人が解放されバスは再び発車する。高速を走り包頭汽車站に1500過ぎ到着。包頭汽車站は包頭東駅の前にあるので周辺の状況は把握できている。まずは寝床を確保しなければならないのだが一昨日までいた招待所へ行ってみたが20元の部屋は満室だったので他の宿を探す。何軒かは外国人お断りだったが、何とか20元で泊まれる康華旅館を見つける。もともとは駅の近くにある旅館だったが20元の部屋があるか聞いたら別の場所に20元の部屋があると案内された。別館?のある旅館だったが、でも、ここは看板は出ているがアパートの一室を改造した別館?だった。 2007/10/17予算使用状況出金 食費 3元 宿泊費 20元 バス代(包頭→石拐) 7元 バス代(石拐→趙長城) 6元 バス代(趙長城→包頭) 7元 バス代(包頭⇔薩拉斉) 20元 バス代(薩拉斉⇔美岱召) 10元 美岱召 30元 合計 103元 五当召へ行こうとしたが![]() ![]() 0715頃に起床する。今日は清の乾隆年間に建立されたチベット寺院の五当召へ行く計画だ。事前にネットで調べてこのHPが役に立った。情報を元に0830頃、包頭東駅前で五当召行きのバスを探していると0845過ぎにバスが駅前にやってきた。運賃を聞くと10元だったので乗車して待つが0930頃、客が集まらないという理由で運行中止になる。車掌が石拐行きのバスに乗車して石拐で乗り換えてくれというので石拐行きのバスに乗車する。1000頃、バスが発車して石拐へ向かう。石拐までの運賃は7元だ。石拐への途中で偶然にも戦国趙北長城遺址の前を通過していることに気付く。これで帰りは戦国趙北長城遺址に寄ることが決定する。1100頃、石拐に到着するが五当召行きのバスは見当たらない。周辺を歩いてみたがやはり無い。タクシーの運ちゃんが声をかけてきたので五当召までいくらか聞くと「40元」とボリ料金を提示してきたので断ると「30元」と下げてきたが五当召へ行く気は無くなった。このまま石拐から包頭へ戻る7路のバスに乗車する。 戦国趙北長城遺址を訪れる![]() ![]() ![]() 1145頃、戦国趙北長城遺址の前に来たので下車する。他の乗客は「何でここで降りるんだ?」という感じで不思議そうに見ていた。石拐→趙長城までは運賃は6元で何故か高い。長城には一応新しい石碑があり長城遺址ということが分かる。 ![]() ![]() ![]() 誰もが想像する石造りの長城ではなく土を盛っただけの長城は石碑がなければ誰も気付かないのは確実だ。戦国趙北長城遺址は春秋戦国時代に趙が築いた長城で秦が築いた万里の長城よりも古い。 ![]() ![]() ![]() こんな所を訪れた日本人は今までに何人いるだろうか?長城を歩いたりしてから7路のバスに再び乗車するがここでは乗客の「何でここから乗るんだ?」というような視線を浴びる。1250頃、包頭東駅に戻ってくる。趙長城→包頭までは7元だった。「途中からなのにどうして6元とかじゃないんだ」と思ったが後から乗車してきた人民も7元払ってたし、運賃設定に謎が残る。 美岱召へ![]() ![]() ![]() 1300頃、6路のバスで薩拉斉へ向かう。まだ時間があるので美岱召へ行くことにする。美岱召は成吉思汗の末裔の阿勒坦汗が明の嘉靖44年(1565)に城を築き、明の万暦34年(1606)にチベット仏教寺院となり内モンゴルでもかなり有名な寺院のようだ。因みに内モンゴルでは「召」というのは寺という意味で使われている。1440頃、薩拉斉に到着する。バスの運ちゃんに通りで6路のバスが美岱召へ行くことを教えてもらい6路のバスに乗車する。途中で包頭→薩拉斉→美岱召のバスを見かけたが本数は少なそうだ。1530過ぎ、美岱召の前で降ろされる。牌坊をくぐり奥へ進むと城壁が見えてくる。美岱召に到着だ。駐車場もあり整備はされているが観光客はいない。まあ、この時期では観光客は来ないだろうな。 ![]() ![]() ![]() チベット仏教の寺院ということなので坊さんがいるのかと思ったが坊さんは一人もおらず完全に観光施設になっていた。 ![]() ![]() ![]() それでも、明代の城壁が残っており明や清の建物もあり雰囲気としては良い。ただ訪れたときは城壁は修復中で登ることが出来なかった。 ![]() ![]() ![]() 1610頃、美岱召を離れ6路のバスで薩拉斉へもどり1700頃、包頭行きの6路のバスに乗車し1810頃、包頭に到着する。 内モンゴル旅行記~フフホト編へ続く |